第142号 2015年10月
山から里へ
「わあ、トンボだ!」
8月の焼けるような日差しのもと、30人近い学生達の笑い声が山にこだまする。今年も大学生サークルが1週間の援農合宿にやってきた。合宿中は朝から晩まで山の上の茶畑まで行き、草取りの毎日。大粒の汗を流しながら一生懸命茶の木の間から生えた草や蔓を手で抜き取っていく。雑草の根っこが残るとまたすぐに草が戻ってしまうので、除草作業は身を屈めておこなう。泥と汗にまみれながらも、根気よくやってくれる。作業の合間の休憩時間は疲れた様子も見せず、雑談に花が咲く。この日は茶畑に飛ぶ数えきれないほどのトンボを指先に止まらせようとはしゃいでいる。誰かが「こんな山の上にもトンボがいるんだ」と不思議そうに言った。普段は気にもとめていなかったが、確かに夏に茶畑で草取りをしていると、頭上をトンボの群れがスイスイと飛び回っている。標高500mの茶畑に黄色の体をしたトンボの羽が太陽の光を浴びてキラキラと光る。
山奥の茶畑にいるトンボのことが気になり家へ帰ってから調べてみると、とても面白いことがわかった。一般的に赤トンボと呼ばれるトンボは1つの種類ではなく、アキアカネ、ナツアカネ、ミヤマアカネなどアカネトンボの総称で、これらのトンボは水中で幼虫期を過ごし、羽化すると間もなく、涼しい高山に移動し夏の間を過ごす。この時の体の色はまだ黄色で、飛びながら空中の虫を捕まえ食べている。夏の間に徐々に成熟し、体色も赤みを帯び、やがて秋風が吹く頃に群れをなして生殖のために下界へと降りていく。
9月中旬の茶畑にトンボの姿は見えず、赤トンボの群れは家の周りの田んぼの上を飛んでいる。夏の間は茶畑で、秋になると田んぼで虫を食べてくれている。山があり、川があり、田畑がある多様な日本の地形と豊かな自然の中で生き、私たち人間の暮らしに彩りを添えてくれるトンボ。残念な事に、森林伐採や開発、水質汚染や田んぼの消失などによってトンボの生息できる場所がどんどん減っているという。農薬を使うのではなく、自然の中で自然の一部として働くことで、その恩恵を受け作物が丈夫に育って行く。秋の茶畑では番茶の収穫、田んぼでは稲刈り、畑では大豆の収穫が行われる。その稔りは多くの生き物たちの生命活動によってもたらされているという事、畑を訪れる人々、そして私達のつくったものを飲み食べてくれる方々に伝えていきたい。
地域で採れた農作物を食べ、農薬や合成洗剤など環境や水質を汚染する物は極力使わない、そういった小さな積み重ねが小さな命を守り、延いては私達自身の健康そして命を守ることに繋がっている。他の命を大切にしてこそ、自らの命を尊び輝かすことができるのではないだろうか。
稔りの秋に感謝の気持ちと共に。