第94号 2011年6月
奪われた新茶
待ちに待った春そして新茶の季節。一年に一度だけ巡ってくるこの時のために茶百姓は一年間丹精して良い土をつくり、茶樹に語りかけ、茶と共に生きる。里山が最も輝くこの時期に、茶百姓も負けないくらいキラキラと輝く。いつもは腰の曲がったおじいちゃんやおばあちゃんも軽やかに茶畑を走り回り、農家のそれでなくても大きな声が更に大きく山間に響き渡る。疲れも忘れ、喜びに突き動かされるように茶農家が輝く季節が新茶期だ。
その新茶期に暗い影が落ちて久しい。年々下落する茶の市場価格は農民から収穫の喜びを奪い、山は荒れ、農村から若者が消えている。それに加え今年は放射能汚染が農家に大きな不安を与えている。足柄茶から基準値を超える放射性物質が検出された。一年大切に育てた新茶を汚された農家の悔しさや不安が痛いほどにわかる。静岡県内でも茶の買い控えの影響で茶農家は新茶の売り先を失い苦しんでいる。
我家が独自に放射能検査をしたところ、基準値よりもだいぶ低い数値という結果を得た。けれど私はとても複雑な心境にある。これまで安全なお茶を届けたいとの思いから、父親の代から36年以上も無農薬・無化学肥料にこだわり続けてきたが、自分たちの力ではどうすることもできない放射能が空から降り注ぎ、微量といえども茶に混入していることは事実なのだから．．．。なんとも悔しい気持ちで一杯だ。新茶を心待ちにするのは茶農家だけでなく、全国のお茶ファンの方々も同じこと。新茶の採れる数ヶ月前から予約注文を多く頂く。ところが今年は放射能に関する問い合わせが毎日数件あり、新茶ではなく昨年生産された古茶を求める人もいる。喜ばしいはずの新茶が奪われたと感じた。そればかりではない、これまで私たちが守ってきた食の安全や日本の農業・農村の存続などすべてが危機に直面している。
原発事故による未曾有の汚染が日本全土を襲う中、とても多くのことを考え、学んだ。私たちはこの汚染にどう向き合い、これからどう生きるべきか。何よりも、私たち人間は大地から離れて生きることは出来ないということを強く感じた。植物がしっかりと大地に根を張ることで暑さや寒さ、病害虫にも負けない強さを得るように、人間も自らが生きる地にしっかりと根を張ることで生きる活力と喜びを見出す。原発事故とそれに伴う放射能汚染は生命を汚染し、食べる喜び、生産の喜びを奪い、私たちを大地から根こそぎ引き抜こうとしている。自分の根を見つめること、それが今とても大切だと感じる。それを基盤として新しい未来をつくっていくべきだ。
日本には豊かな自然と長い歴史の中で培われた知識がある。米を主食とし、旬の野菜や味噌、漬けもの、茶など日本の食文化は日本人の体の強さの源であり、私たちの根っこだ。放射能汚染が今後も継続するなか、私たちは、祖先が私たちに残してくれたこれらの知恵を大切にし、身体の免疫力をつけることで自らを守っていこう。農家としても本物の味をつくり、守っていこう。収穫の喜び、人間として生きる喜びが私たちの手に再び戻ることを強く希求する。
